女の子のイラストを描いてみました。

今日、3ヶ月ぶりにイラストを描いたのですが、結構楽しめましたね。意外でした。

3ヶ月ぶりに描いた女の子のイラスト。

20分くらいで描きあげたのですが、正直練習して何になる?だとか、1枚100円位にならないだろうか?だとか、CGを駆使している以上、上達するわけがない。という葛藤の中でした。

いわゆる、芸術の昇華段階における、エゴイズムだとか、自己表現だとか、自己満足に過ぎないことを皮肉を込めて、オナニーだとか称する人がいますが、そういうレベルじゃないんだよな。と言いたいですね。

3DCG統合ソフトを使っているわけですが、レンダリングしている時間が妙に長く感じるわけですが、それはそうでしょう。当たり前ですが解像度が高いわけですから。

私はその画像を低解像度に圧縮?してこのブログに載せたということです。

ぶっちゃけ、ブラシを適当にまぶすと、見れるような気がしますよね。

本当、何だかな、という感じです。

漫画家による虚構世界の構築の存在意義について。

そもそも、虚構世界を表現すると言うことは、社会的な意義や価値はありません。

AKIRAと言う漫画も漫画と言うジャンルの中での技術的な評価は高いようですが、学者が言ったように、社会的な意義、価値という観点においてゴミと評するしかしかありませんよね。

ただ、攻撃をする表現を繰り返しているのを見ても何のことだ?と顔をしかめるしかありません。

私個人が考えるに当たっては、外圧的な力によって生み出される漫画家による虚構世界の構築というものは、誤解を恐れなければ、犯罪だと思っています。

なぜなら、本人の意思確認もありませんし、甚大な精神的負荷が掛かるからです。

それが許されるのは要は口止め料が支払われることであったり、暗黙の了解であったりするからですが、金の力で他者を動かすことも珍しくないと思います。

日本の古典に、画家が火事の絵を描くために、実際に燃やしたそうですが、燃える人間は殿様が用意した、画家の娘であった。と言う話があります。

成る程、虚構世界の構築に当たって、人間の知覚が現実を凌駕するという、一種の宗教的解釈に近いということがわかります。

私はそのような虚構世界の構築の存在意義について、明確に表現することはあえてしません。非道徳的で、独善的な、証拠の残らない犯罪行為だからです。

金で済む話ではありませんよね。責任をとって余りあると感じます。

ただ、それが当事者にとっては泣き寝入りするしかないという、状況に追い込まれることに私は無力感を感じます。

こんなことが許されて良いのでしょうかねぇ・・・?

インターネットの世界についての考察。

よく、インターネットのサイトやいわゆるSNSを見ていると、よく、アンチという言葉を見ます。恐らく、何らかの対象に批判的な人達という印象の言葉です。

私は無償で相手を批判するからには、恐らくその人は発言や作品について自分の方が勝っている部分があるのだと思います。

私も、インターネットをやっている時間では負けるかも知れません。

幸いなことに、私に対してアンチという人は、表においてはいませんが、と、同時にファンもいません。

要するに人が心理的にバランスをとるように、世界においてもバランスをとろうとする働きのような物に感じます。

まぁ、もう深く書くのは嫌なのでこの辺にしておきますが、人に文句言うなら我が振り見ろよと言いたくなります。

ゲームと漫画の存在意義を定義する過程で共通するもの。

ゲームと漫画の存在意義を定義する過程で共通するのは、
・人生より簡単に困難を疑似体験で克服する
と言うところでしょうか。

漫画は知ることが出来るだけマシかも知れません。人生はここまで辛く、苦しいものなんだ。だから、こういう人や世界とは関わったらいけない。それを知ることが出来るだけマシだと私は思います。学校では教われないものを学べると言う点において漫画は機能を果たすと思います。そして、テンプレートのように、意外と悪そうな奴でもこういう価値基準があるのかと言うのもただメソッドでギャップを描いているだけかも知れませんが、案外現実もそのようなものであることが多いです。
ただ、悪人を恐れ、関わりを持たないという認識から一歩前進することも可能です。

ゲームの存在意義と言う視点から定義してみる。

恐らく、恐れを知らずにゲームの存在意義を仮定すると、

・キャラクターにインタラクティブ性をもたせ疑似体験をすることによって、その世界に没頭する。

となると思うんですよね。要は現実逃避の要素が強いと感じます。

そんなIQ200の人がゲームは下らないと言うのとは意味が全く違います。

漫画の存在意義という視点から定義してみる。

恐らく、恐れを知らず漫画の存在意義を仮定すると、

・承認欲求や自己肯定感を満たすためのキャラクターとドラマを物語を通して、提供する。

となると思うんですよね。

バトル漫画が超能力という非現実的な設定がまかり通るのはそう言う視点があるからだと思います。

承認欲求や自己肯定感が満たされている人というのはあまりいないと思うんですよね。